福田ますみ、田近康平/でっちあげ


でっちあげ 1巻: バンチコミックス (amazon), でっちあげ (honto)

■自殺未遂した小学生、その裏には教師によるいじめがあった… と報道されたが、教師は裁判で事実無根との主張をはじめるのだった。

自殺をはかった小学生男子。一命はとりとめたが、両親はその 原因を教師による出自を理由としたいじめであると主張する。 穢れた血と執拗に責められたのだというが、裁判となり、 口頭弁論が開かれると、教師はそのような事実はない、嘘であり でっちあげだと発言。そこから教師視点で描かれる家庭訪問の風景は、 生徒側両親によるものとは全く別のものだった。


『羅生門』というか「藪の中」的な話。何が真実なのか、にわかにわからず、 おそらく真相は部外者には理解することはできない。いや、本作に 関してそういうのはフェアではないだろう。これは事実を基にした話であり、 題名通り「でっちあげ」であり、教師にはいじめを行った事実が全く 認められなかったことが裁判でもその後の調査でも明らかになっている。


誰かが何かを目論んで仕掛ける場合もあるが、その場合は目的が見えてきたり 工作が明白になることも多い。一方、これが、単にオカシイ人が渦中に いる場合、流れや勢いに押されて証拠もないのにありもしない事実が認定 されてしまうことが多々ある。思い込みは大抵間違っていることが多いのだが。


またそこに、マスコミが絡む。ジャーナリズムが事件をブロウアップして 報道する。報道は必ず偏りがある。真実が一つであるなら それ以外は嘘偽りである。真実が複数あるなら、それを余すことなく 伝えるのが報道である。しかしジャーナリストは 事件を容易なストーリーに仕立てがちである。リアルな世界で 起こる事象はフィクションとは違うのだが、フィクションを構成するだけの 能力のない人が事実を用いてストーリーを語るのが ジャーナリズムの世界で起こっている不幸である。


この事件でも朝日新聞や週刊文春の記者は事実誤認のまま 報道したことをいまだに認めていないという。自分たちが正義だと思っているのだろう。 自分が正義と思っている者ほど厄介なものはない。なぜなら自分は正義と 思っている者は間違いであり、その時点で気が狂っているからである。 自身はそうでない、と思うジャーナリストは、その時点で危うい。 しかしそうしたことに自問して苦悩しない人が呑気にジャーナリストを名乗れるのだろう。


ちなみにこの手の話をコミックやら小説やらにするなら、ノンフィクションではなく、実在の事件人物から遠ざけて昇華してモデルを想定できないくらいに翻訳してフィクションとして創作すべきだと個人的には思っています。


【データ】
原案=福田ますみ、漫画=田近康平
でっちあげ
【発行元/発売元】 新潮社 (2020/6/9) ※電子版で購入
■購入:
amazon→ でっちあげ 1巻: バンチコミックス , Kindleマンガストア コミック _ Amazon _ アマゾン
honto→ でっちあげ , 漫画・コミックの電子書籍の新着情報- honto
どこにでもあるような街の、どこにでもあるような学校。どこにでもいるような母親と、どこにでもいるような先生。どこにでもあるようなありふれた関係、のはずだった。悪夢の“家庭訪問”までは――。小さな街で起きた“体罰事件”は全国を駆け巡り、やがて裁判へと発展する。世論の見守る中、正義の鉄槌が下るはずが……。


■当サイトの著者他作品レビュー
田近康平/デッドワードパズル

■当サイトの月間オススメはこちらから


search this site.

mobile

qrcode

selected entries

categories

profile

others

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM