漫画に限った話ではなく原作もののドラマ化に関して思うことをつらつらと。
某ドラマに関して脚本家が余計な発言をSNSでして結果原作者が黙っているわけにはいかず実情を吐露した件。契約時に提示した条件を無視して勝手に作ろうとするテレビ局のドラマ制作現場の旧態依然具合が最悪で、これってコンプライアンス案件だよねと思うのだがどうなんでしょう。シナリオライターの「ミステリと言う勿れ」ほかの所業に加えてプロデューサーも「おせん」の前科が発掘されるなど、視聴者側からしたらああ……という様相ではありますが。とはいえ誰の問題かといえばシナリオライター云々よりもプロデューサーの問題ではあるわけで、出版社側と対峙していたプロデューサーが制作側に対してどういう態度でどういう指示をしていたのかが問題。まぁそれはそれとして。
原作ものを扱うなら原作へのリスペクトがあるべきで、オリジナルなものを作りたいなら完全オリジナルでやるかパブリックドメインのフリー素材をもとにするかヒッチコックのように短編を膨らませてつくるのが良いだろう。原作を改変することで新味を出す、なんてことは別に誰も求めていない。原作ファンには不要だし、原作未読者には別に新味も何もない。
改変することで作品が良くなるということもあまりない。最近評価されている作品は概ね原作に忠実な作品が多い。原作をどう演出して見せるか、どう落とし込むか、が脚色の肝である。そこに改変は必要ない。原作ものの脚色とオリジナルの脚本とでは全く別の才能が必要である、ということに制作側が自覚的でないなら、現状の体たらくはさもありなんと思う他無い。
気になるのは、制作側はおそらく、ドラマを広く見てもらうためには改変したほうがいい、そのほうがわかりやすい見やすくなるから間口が広くなる、と思っていそうなところだろうか。改変が、キャラクターをステレオタイプなフラットキャラクターに落とし込みがちなのはそのせいに見える。今どきの原作は大抵のキャラクターがラウンドで動いていて、固定化された深みのないフラットな人物などいない。いないのにピン止めしようとするのは、たぶんに、ドラマ見巧者でない一般客を少しでも引き入れたいとする思想があるのかもしれない。
言いたいのは、そんな一般客が視聴者にいるだろうというのは幻想であるということである。いまどきドラマを見る人は、ドラマ好きしかいない。視聴率を見ればわかるように、ドラマ見巧者しか残っていない。ステレオタイプないつでも見られるドラマ枠が地上波テレビから消えてしまったのだから当然。若い層で見る能力ない人達は疑似ドキュメンタリーかYoutube、Tiktokなど短い動画に流れている。60分枠のドラマなんてそもそも見ない、見ていられない。見巧者だけを相手にする世界なのに、間口の広さなど考えても仕方がない。それをどこまで理解しているのか。
ドラマなんて、イノベーター〜アーリーアダプターの16%程度が見るもので、それって偏差値60以上の人を対象にしてるのよ。アーリーマジョリティ34%まで入れても偏差値50以上ってことで。ドラマを見て楽しむことができる人なんてのは対象人口の半分が最大限の市場である、という認識があれば、意味不明な改変は不要どころか邪魔となるはずだと思うのだが。その辺を勘違いしているからテレビがますます見られなくなっていくのだろう。まぁ普段のテレビがこの辺に見捨てられているからこそこういう混乱が起こるのだとは思うが。ワイドショーを見ているような連中は、ドラマ見てません。ドラマを見ることができません。時間帯と番組ジャンルにより視聴者は全く異なるということをテレビ局が理解していないとも思えないのだが。
視聴者側としては、この手の原作レイプ系の作品にスタッフとしてあがっている人たちの作品を忌避していくということなんだろうなぁ。まぁ使う側が使い勝手良いなら今後も使われていくんだろうけど。業界内の身内でうまく仕事が回ることと、そうして出来上がったプロダクトを客がどう評価するかは別の話だからね。前者が優先されるならそれはそれで。客としては切り捨てれば良いだけなので。
(2024/01/29追記)残念なことになってしまった。テレビ局、ドラマ制作側の問題が大きいが正直、彼らにコンプライアンスを期待しても無駄だろう。大切な作家、作品を守るべく動くべきは出版社であり、今後は同一性保持権を前面に押し出しその文言化による明示とそれを否定する契約の拒否が必要だろう。原作を尊重した脚色ができるプロフェッショナルな脚本家というか脚色家は出版社が契約して育てるべきかもしれない。映像化に関してはテレビよりも配信がより選ばれることになるだろう。事前にローンチ日を決めて宣伝もしてしまうテレビの作り方は時間的制限によるプレッシャーとそれを逆手にもう時間がないですからとテレビ局側の都合をゴリ押しすることを許してきた。事前のローンチ日公表や前宣伝に意味のない配信の場合は時間的プレッシャーが比較的緩い。テレビ局のような時間が解決するといったずる賢い手口は使えない。出版社はテレビより配信との付き合いを深めるべきだろう。逆にテレビ局は出版社や編集プロダクションや作家を囲い込む可能性もあるが、その場合はテレビ局の映像制作体制が変わらない限り作品を大切にする作家は囲い込みを拒否するだろう。新聞社の経営が苦しくなるなか、出版社がコングロマリットを作ってテレビ局を傘下に入れるほうが可能性があるかもしれない。RIP